◆BodyChanceでのアレクサンダー・テクニークの学びとは?

いくらでも出てくる、枯渇しそうにない知識の豊富さ

「すっごかった。」

2013年10月、初めてアレクサンダー・テクニークのセミナーを受けた日の、SNSに残っている私の日記。

冒頭にそう書いてある。

二年半経った今でもその一日を忘れることなんてできない。

セミナーの内容や、直接答えてもらったことや、部屋の様子まで、鮮明に蘇る。

楽器演奏に関することを、出し惜しみすることなく、むしろ出しても出しても枯渇しそうにない知識の豊富さで、真摯に、穏やかに、誰に対しても公平に、的確に教えてくれる。

今まで20年楽器を演奏してきたのに、知らなかったことを、音大で教えて欲しかったことを、湯水のように与えてくれる

私が悩んで行き詰っていたあがり症に対しても、今まで聞いたことのないようなアプローチで解決に導く方向性を示している。

 


学ぶのが楽しくて、頭はフル回転。

今までこんなレッスン受けたことない。

一秒一秒全部興味があって、一瞬も目を離せない。

メモなんて取っている場合じゃない。

見逃せない。

全部記憶にとどめて、自分のものにしたい。

時間が過ぎるのが勿体無い。

ずっとまだまだこの時間を過ごしていたい。

学ぶのが楽しくて、頭はフル回転。

自分の脳内記憶を使って何度も思い出し、自分の知識にするために理解に落とし込む濾過の作業を、数日することになる。

 


劣等感を感じさせられる瞬間は微塵もない

出会うアレクサンダー・テクニークの先生達は、誰もがそうやって、私の20年に亘って蓄積され続けた、演奏に対してのフラストレーションを昇華して、渇望して喉から手が出るほど欲しかった、楽器の上達する方法のアドバイスをして、私の学習欲求を面白いほど満たしていってくれた。

いつの授業でも、知りたいと思ったことを厳選する必要なく、私が知りたいことは全部、どんなタイミングでも、どんな角度でも、どんなことでも、いつでも真摯に、しかも私以上に私の疑問を察してくれて、私のサポートを第一の目的にして答えて教えてくれる。

そんな環境が当たり前で、そんなことができる凄腕の先生がたくさんいる。

一方通行でない関係でレッスンは進み、劣等感を感じさせられる瞬間は微塵もない

今まで長い間私が求め続けていたのは、こういう学びの場所なんだと、その環境に入って初めて分かった 。

 


上達のヒントを確実に持って帰れる

BodyChance の授業の予定が毎週のようにある。

教師養成コースの授業への参加はもちろんのこと、個人レッスンを受け、一般向けのベーシックコースを好きなだけ見学するということは、私の人生にとって、一番の核になっているクラリネットの演奏を良くしていける時間がこれから確実にやってくるということ。

教えて欲しくてしょうがなかったのに、自分で掴んでくることができなかった上達のヒントを確実に持って帰れる時間がくる。

待ち遠しくて、ソワソワして、ワクワクするのに、指先まで苦しい、そんな時間を数回経験して、どんなにそれに不足し自分が飢えていたのか知った。

今まで暗く暗黒の雲の中であったような手探りの楽器人生の印象が、急に雲が切れてその間から青空が見え光が差してくるような感覚。

これからアレクサンダー・テクニークを学んでいったら、舞台に立つことが大きく変化し、今までと全く違ったアプローチで演奏が良くなり上達していき、希望や感動のようなエネルギーがきっと自分から湧き出し続けるはず。

文字にするとどうしても大袈裟でときに胡散臭く聞こえてしまうのが文章の難しいところだけれど、大袈裟ではなく限りなく確信に近く私はそう予感していた。

プライドを傷つけその反動を利用して成長を期待し、わざわざ厳しい辛辣な言葉に触れ慣れ親しんできたけれど、もうそんな言葉で自分を傷つけながら上達しようとしなくていい。

そんな動機で音楽を続けなくていい。

 


一生ものの恩恵と価値

音楽専門アレクサンダー・テクニーク教師養成コースに入って、ちょうど2年が経過した。

予想通り今だに目を離せないような学びの瞬間は途絶えないし、むしろ尽きる気配はなくどんどん広がり深くなる。

私が生きた年数と同じくらいアレクサンダー・テクニークの教師でいる、何人ものマスターティーチャーとの出会いがそれを教えてくれた。

大作曲家、名演奏家も同様、その言葉や歴史や姿勢や生き方全てで伝わってくる、その分野に関わることの一生ものの恩恵と価値

仮に大海原の深淵に辿り着けなくても、ワクワクして携わり、楽しんでいられる価値が、音楽や楽器にもあるように、アレクサンダー・テクニークをツールとし実現していく、ありのままで生きていく人生にもそれがあるのだと。

 


相手が大切に思っている何かの役に立てるように

いつか、私が楽器を演奏することが大切だと思っているのと同じくらい、相手が大切に思っている何かの役に立てるようになりたい。

アレクサンダー・テクニークの先生達が、いつも私にそうしてくれるように。