◆あがり症の悩み、アレクサンダーさん、答えてくれる? /0028

「今正しいと思っているその考えが間違っているから、舞台であがり症になるんじゃねーか!」。F.M.アレクサンダーの著書を読んで、そう本人に言われた気がしました。「緊張」せずに舞台で演奏したいという悩み、アレクサンダーさん、答えてくれる?前回のブログの続編です。

クラリネット宮前和美


「思考が動きを変える」

 

前回のブログの内容は、アレクサンダーがどうやって声の問題を乗り越えたのかというストーリーと、アレクサンダー本人がどんな人だったのか、著書「自分の使い方」から取り上げました。

 

 

今回は、私のあがり症に置き換え、アレクサンダー・テクニークで言う「自分の使い方」と思考が、どれだけ影響するのか応用です!

アレクサンダーにとっての、出なくなってしまった声を取り戻したい、というのと同じくらい、私にとっての強い望みに置き換えます。

 

舞台で緊張せず、良い演奏をしたい。

 

アレクサンダーなら、どうやって、あがり症に応用するでしょうか。

絶対に緊張するシーンを想定して考えていきたいと思います。

 


繊細な長いソロが迫って吹く、その瞬間。

 

 

当然私にとっては、演奏の場所になるのですが、ほぼ終始緊張しているであろう、オーケストラの中を想定してみます。

 

大ホールの舞台で、オーケストラのクラリネットのトップの位置に座って、上手いプレーヤーの中で、耳が肥えたお客さんや同業者も客席にいて、重要なソロがたくさんあるシンフォニーの公演。

オーケストラの首席という職業は、ストレスフルな他の職業と比べても上位を争うほどのプレッシャーがかかる職業だというデータがあるくらい、その席にかかる重責を知れば知るほど、半端ない非日常の緊張が自分を襲います。

 

アレクサンダーが言うのは、声を出そうとしたその瞬間の話ですが、私にとっては、その本番で、今演奏が進み、曲中でのクラリネットの音が丸裸になる、繊細な長いソロが迫ってきて吹く、その瞬間。

ゲネプロから緊張は続き、ずっと秒読みしているような状況で、その楽章に入り、ついに、さあ、あと2小節。

指揮者を見る、目が合う。

きた!!

 

「というそのときに、何を考えているんだ?」

アレクサンダーはきっとそうやって聞いてくると思います。

「自分の使い方」と、その考えには、密接な相互関係があるからです。

 


思考回路の違い。

 

「周りを納得させられる演奏ができないかもしれない。」

「自分には音楽の才能がない。」

「私が演奏を乱してしまう。」

「ソロを吹いて人からどう思われるかが怖い。」

「周りが求めるレベルで演奏できない。」

「演奏で失敗したら信頼がなくなる。」

「こんなに怖いなら楽器を辞めたほうがいい。」

「指が震えたらプレッシャーに負けていると思われてしまう。」

「音程も響きもリズムもハーモニー感も良くない演奏をしたらどうしよう。」

 

そんな考えを持ちながらオーケストラのソロを吹き始めるか。(【思考回路①】)

 

「作曲家がクラリネットの魅力を存分に引き出してくれる。」

「このホールの響きとハーモニーの中で吹く。」

「成功してもしなくても、この人間関係の信頼は変わらない。」

「仕事として任せられている。」

「自分が好きでやりがいを感じているパフォーマンスの場所である。」

「音楽の流れの一部となる。」

「私を含め一人欠けても演奏は成立しない。」

「この空間全てを自分のパーソナルスペースに入れる。」

「お客様とプレーヤーを自分の音でお誘いする。」

「演奏する私と共に変化して影響し合う。」

「音楽のストーリーを語る。」

 

こんな考えで、オケのソロを吹き始めるのか。(【思考回路②】)

 

それぞれ、演奏にどんな違いが出てくるでしょうか。

 

 


思考回路①の場合。

 

あがり症を呼び起こすのは、ほぼ、間違えなく思考①です。

この思考①を支配しているのは、危険、不安、不可能、失敗、否定といったもので、そういう思考回路は、自分をこんな使い方にします。

 

「危険」ということは、自分を守らなきゃいけないから、体を縮め、固めておこう。

「不安」なので、状況にすぐ反応できるように、血液の流れをよくし動悸を早くして運動機能を上げておこう。

「怖い」から、アドレナリンをたくさん出して、何にでもすぐ反応できるよう震えるくらい筋肉活動を活発にしておこう。

 

アレクサンダーはきっとこう言います。

「自分の考えが、体に変化を起こし、あがり症を呼んでいるのだ。」

 


思考回路②の場合。

 

その考えがもし変わって、思考回路②になっていたらどうでしょうか。

どんな種類の、どんな考えでも、体の使い方に影響があります。

 

例えば、「このホールの響きとハーモニーの中で吹く。」とするなら、耳の使い方が、周りの音との調和や、残響、返ってくる音に反応するようになります。

 

「演奏する私と共に変化して影響し合う。」という考えなら、そこにいる人全てが音楽の一部となり、瞬間ごとの音や出来事や空気に反応し、楽器の音と直結させようとする敏感さが生まれます。

 

思考回路②だとしたら、演奏にいい結果を期待できるし、音楽的にも、聴衆との関係も、場の空気も、より良いことは明確です。

 

「その瞬間、どんな価値観、判断基準を採用したのかが、体や演奏に大きな影響があるのだ。」

 


やりたいことなんて、とっくの昔に分かってる。

 

「頭を引いて押し下げる」より、「頭は前に上に持って行く」方が、声を出しやすくなる、とあるとき気づいたアレクサンダーと同じです。

自分自身はそれをわかっているし、それを考えていたくて、そう考えた。

と思ったのに、本気で思考回路②を選べていない、としばらくして気づきます。

長年の習慣により、「ソロを吹く」と意図するだけで、今までの習慣が直結してやってます。

 

「成功してもしなくても、この人間関係の信頼は変わらない。」って、本当に信頼は変わらない?失敗しても、本当に人間関係変わらないの?その瞬間イレギュラーな音出したら、周りを動揺させるよ?今の演奏で何思われてるか、わかんないよ?

 

「音楽のストーリーを語る。」……って、実際きちんと譜面が吹けないと伝わらなくない?譜面通りに本当に再現できるわけ?いい音で、いい響きで、間違えないで、吹かないとストーリー語れないんじゃない?

 

思考②で考え始めていたはずだったのに、今まで積み重ねたネガティブな価値観が、思考②を選ぶことを邪魔してきます。

一つの考えに、簡単に何重にもトラップをかけて、慣れ親しんだ思考の自分の考えが、前向きな思考を阻んでしまいます。

心から考えたい方を思って演奏すればいいのは分かっているけれど、それがその瞬間、難しい。

 

 


アレクサンダーからのメッセージ

 

「でも、そうやって、その考えを選んでいる限り、その体の反応は変わらない。」

「今きみが正しいと思っている考えが、間違っているから、舞台であがり症になるんじゃねーか!」

どんなプロセスの中でも、自分が選んだ考えが、結果を導いている。

 

アレクサンダーが声が上手く出るまでずっと試していたのは、思考①をやめる方法を何通りも試し、不確かで慣れない思考②を選ぶ、そのタイミングの練習です。

何度も何度も、何度も何度も。

 

「習慣は積み重ねた分、それをやめるのも時間が掛かるけれど、何度も何度も意図し続け、それを練習し続ける必要があるのだ。」

それがいつか不慣れで、変な、間違った感じでなくなるまで。

思考②を明確にし、思考①になりそうなその瞬間に本心で選べれば、体の使い方は変わってきます。

 


「自分の使い方(The Use Of  The Self)」

 

あがり症の悩みに答えてほしいという私へ、アレクサンダーさんは、難解な文章の障害を乗り越え、何の迷いもなくはっきりと伝えてきました。

 

「舞台であがり症になりたくないなら、自分で、自分の使い方に関わる考え(ディレクション)を選びなさい。」

 

自分に役立つ考えがどんなものかを知り、それをいつも考えられるようにすると、自分の使い方は変わります。

楽器も、声も、ヨガも、芝居も、乗馬も、スポーツも、立つのも、歩くのも、肩こりも、物忘れも、怒りやすいのも、病気も、何でも、自分に合った「自分の使い方」を学んでいく。

それが、今回のような思考のアプローチのときもあるし、ときに骨格模型を使った解剖学的なアプローチであることもあるし、具体的な楽器演奏の仕方であったり、心理学や脳科学のような側面だったりします。

 

でもすべて、『自分の使い方』へのアプローチ

それがアレクサンダー・テクニークの根本にあります。

 

 


F.M.アレクサンダー著 「自分の使い方」


 

 

 

 


 

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