「本番は、120、130%の能力が出るものでしょう?」常に先生がそうである姿を見せてレッスンをしていたら、生徒もそう思って本番で演奏するようになるのではないでしょうか。生徒が自分で学んでいく過程の中で、能力を伸ばすか、減らすかは、通り過ぎる言葉だけではない、ノンバーバルも含む自分全てで教えているのだと最近思います。
クラリネット宮前和美
「本番は、120、130%の能力が出るものでしょう?」
ホルンのトッププレーヤーが言っていた言葉だと聞いた時、そんな言葉を日常に聞いて楽器人生を過ごしたかったと思った。
私も多くの中高生が指導を受けるのと同じように、本番は、7、8割の力しか出ないから、練習で120%位の力を蓄えておかないとだめだよと聞いて、そう思って練習してきた。
だけれど、逆に本番の方が自分の力が引き出される、とその人は当然のように言う。
この話にも同じことが言える。
一流のホルン奏者の子供は、全く外さないホルンの音をお父さんが出しているのを聴いて育ち、ホルンは音が外れない楽器だと思って楽器を吹くようになる。
だから、滅多に外さない二世のホルンプレーヤーになる。という実際の話がある。
当たり前だと思って育つと、その人にとって現実となる。
同じように、「本番こそ、自分の能力以上の事ができる場所だ」と言われてレッスンを受けて育ったら、どういう演奏をするようになるか。
常に先生がそうである姿を見せてレッスンをしていたら、生徒もそう思って本番で演奏するようになるのではないか。
指導者の言葉には威力がある。
先生が信じているものが、生徒に伝わることになり、生徒の信じるものになる。
生徒が自分で学んでいく過程の中で、能力を伸ばすか、減らすかは、教師が何を見せ、何を教えているかに大きな影響を受けると最近思う。
通り過ぎる言葉だけではない、ノンバーバルも含む自分全てで教えている。
教師と生徒という関係性でなくても、親子でも、仕事でも、どんな人との繋がりの中でも同じかもしれない。
生徒と過ごしたこの時間、結果何を生徒に残し、教えることになったのか?
自分の在り方の影響の大きさと、責任を自覚しているか?
それが、生徒の学びの質に繋がる。
アレクサンダー・テクニークの教師養成学校に通っていると、「教えること」も学んでいく。
自分の教師としての質を問われ、磨かれ、とても面白い。
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