◆私とアレクサンダー・テクニークの出会い

【クラリネットとアレクサンダー・テクニークとの出会い】

鮮明にあの時の光景を思い出せますが、中学生になり、体育館での部活紹介のオリエンテーションを見ながら、部活ってどんなものなんだろうと興味津々でいたときに、吹奏楽部が一番大所帯で、先輩たちがバーっと色々な楽器を持って出てきて、一番前に座って吹いている、黒い楽器本体にキラキラ銀色に光るキーがたくさん並んでいるクラリネットが吹きたい!と思ったのが始まりです。


管楽器を始めるほとんどの人と同じように、私は中1の時に吹奏楽部に入り、クラリネットを始めました。


母親が家でピアノ教室を開いていたので毎日ピアノの音があり、過去には中学の音楽の先生だったことや、コーラスの練習について行ったり、日常的にラジオでもクラシックをよく聴いていたりしたことから、私にとってクラシック音楽は身近なものでした。
でも意思が薄いまま習っていたピアノより、自分がやりたくて始めたクラリネットの方が断然面白く、早くもっと誰より上手くなりたいと思い始めるのは数ヶ月も経たなかったと思います。吹奏楽部に入って、初めて合奏に混ぜてもらった時のワクワク感、先輩と一緒に曲を吹いて大きな舞台で聴衆を前に演奏する誉れのようなもの、合奏で上手く演奏できた時の何物にも変えがたい充実感や感動、私がクラリネットで演奏や音楽をすることの原点は、あの吹奏楽部の一年生の頃に生まれたと思います。

毎日毎日部活に行くのが楽しくて、楽器を吹けるのが嬉しくてしょうがありませんでした。
中2になったとき、将来の夢とそれに至る計画を書くという授業があったのを覚えていますが、辿り着く先に「クラリネット奏者」と書いていました。

それから、20年以上。
音大に進み、フリーで演奏の仕事を引き受けるようになり、中高生への指導や音楽教室で個人レッスンをしています。あの時、クラリネット奏者になりたいと思った中学生の私の夢は、殆ど実現されています。私の人生でクラリネットはなくてはならないものになり、時間や価値観の優先順位は、クラリネットがいつも首位をキープしています。中学の私からすると、今の私はきっと憧れるくらい上手く楽器が吹けるプレーヤーに違いありません。

でも!
自分はいつも下手だと思っていたし、他人と比べライバル意識や劣等感を持って、舞台や本番ではいつも悪い緊張をし、思ったようになんて全然吹けない自分でずっと過ごしてきました。
あの時感じていたはずの素晴らしい音楽や演奏の原点から外れて、いつの間にか楽器を吹くようになり、いつも理想や憧れが遥か遠くに感じる。

本当に楽器と合奏が大好きで、休日や夏休みは部活に毎日行って、純粋に楽しく部活に行っていたのに、同じパートの子より少しでも上手く吹いて、1stでコンクールに出たい、夏の吹奏楽コンクールでは金賞を取りたいと、中2になる頃には、クラリネットや演奏でライバル心を燃やしたり、競争をしたりすることをいつの間にか音楽に取り入れて、目標や主眼に置くようになりました。

中3になり、私は引っ越しをし、それまで所属していた吹奏楽部よりかなりゆるくレベルが低い部活に変わってしまいました。金賞を目指していたのに、全くそんなレベルで演奏できない吹奏楽部。それにもどかしさと、物足りなさを感じて、前の学校のように厳しく、スパルタ要素がないと、練習や部活をしていても上手くなれないのだと考え、緊張感が走るような指導や駄目出しが、時にはあった方がいいと思っていました。楽器のレッスンを受ける機会がなかったので、音楽からのアプローチ方法を知らず、成績を上げる勉強の仕方と同じ方法で、楽器の技術の練習をしていました。そして、今の私にも続く大きな問題となる、あがり症を発症したのはこの年です。中3の夏のコンクールのホール練の時、コンミスでソロを吹く箇所で、初めて指が震えて、失敗はしなかったものの全然コントロールが効かない恐怖を感じる経験をしました。これ以来あがり症とは長年の付き合いをすることになります。

高1、音楽に限らず、実力や才能の世界に生きる人に憧れるようになりました。毎日部活が楽しくて、楽器がもっと操れるようになりたい思いが増しました。でも上手い人が沢山いて、人に楽器で認められたいと心の底で感じていたのに、羨ましさや嫉妬で苦しいことが多い毎日。評価をされたいと思っているのに、実際は褒められるより問題点を指摘された方が真実に聞こえるという矛盾。合奏は平気でも、自分の音が目立つ場所やソロだと緊張し指が震える。

高2、周りの人達の進路が決まる中、吹奏楽部から音大に進学する先輩達の背中を見て、楽器は続けたいけれど、私には才能がないし絶対に音大は無理だと思っていました。わざと普通の大学の受験をするために塾に通い始め、音大に行くことを諦めて納得しようと毎日苦しんで考えていた頃です。吹奏楽や管弦楽が盛んだったり、副科で楽器が習えるような大学を志望校にして、自分を納得させようと色々調べていましたが、全く行きたい大学は見つからず。今考えると見つからないのも当たり前ですが、当時の私は本気でどうにかして諦めようとしていました。

高3になってから、やはり諦められない音大へとうとう進路を決め、急いで専科のレッスン、副科ピアノ、声楽、ソルフェージュ、聴音、楽典のレッスンを始めました。音大夏期講習まで指折り何ヶ月、何日、冬の講習会まで、そして受験日まで、数ヶ月しかない!!本当に焦って、ただひたすら楽器を吹いていましたが、具体的にどうやって出来ないところが吹けるようになるのか、もっと上手くなれるのか分からず、焦燥感と共に必死で過ごしました。

いい線までいったと言われたけれど、やはり音大受験を決めるのが遅く浪人生に。修行の身だから、私生活を楽しんだり、勉強以外で曲を吹くなんて全然考え付きもしなかった一年。ルーティン、繰り返し、基礎練習、言われた通りにエチュード、決まりきったメニューをこなす練習を続ける日々でした。楽器を吹くことは、訓練、鍛錬、修行のようでした。

晴れて大学生になり、新しく刺激的で充実した毎日がありましたが、上手い人は数知れず、自分とそのレベルの距離感をもっともっと遠くに感じ、自分は劣等生だと思うことで、下手なことを我慢できる自分を作っていました。試験や、オケの乗り番、シーティング、コンクール……他人の評価基準で自分の演奏が良くないと意味がなく、時には点数として自分の演奏レベルを自覚させられる。私の演奏は、基本ダメで、試験も本番もあがり症で上手くいかない。緊張する自分に出会うと、楽器が向いていないんじゃないの、楽器をやめたらいいんじゃないのと、自分が自分に本番中にそうやって囁く声を聞きながら演奏していました。自分の楽器は苦しい期間でしたが、素晴らしい先生や先輩に出会い、色々な経験をして、高い水準の演奏や音楽には、ますます惹きつけられ憧れる楽器漬けの4年でした。

卒業してフリーになってからは、指導や演奏活動をしつつ、でも本番での緊張やあがりの緩和や対処法は見いだせず。でも、2009年大きな出会いがあり、こんな演奏をする自分は嫌だと、目標のプレーヤーを追って毎日焦って、自分の時間の限界まで楽器をさらう日々が始まりました。アンブシュアも一からやり直し、奏法も全然分からないし、きちんとした奏法を知識として知らないから、全く安定しない音色や響き、いいリードもいいマウスピースも全然分からない。家で練習できない時間になると、真夜中は車で近くのカラオケに行って、深夜閉店までさらう毎日。今の自分では全然吹けなくて、このままの演奏が怖すぎて、時間の隙間があれば、常に楽器を練習していないと不安になっていました。テクニックさえつけば自信を持って、音楽の表現も、楽器演奏もできるようになるはずだと。

オーディションや本番をできる限り経験して、色々な人のアドバイスをもらいながら、本当に毎日それを続け数年が経ち、ある程度奏法は安定し、楽器自体のテクニックが上がって、前より確実に吹けるようになって、コントロールもマシになって、自分の演奏に自信を持ってもいいはずだと、うっすら肯定的に、そう思えてきたのです。
なのに、いざここぞという本番になると、そんな考えは全く信頼できなくなり、どうしても怖くて、指が震え、ネガティブな考えがやってきて、平常時の演奏を全然再現できなくなってしまう。


期待していた根本的なあがり症は全く治らなかった。
楽器のテクニックや知識や経験をいくら積み重ねても、あがり症は治せない。

そして、私は、アレクサンダー・テクニークに出会いました。

アレクサンダー・テクニークを学ぶようになって分かったのは、あがり症を煽ってしまうような練習のアプローチや、楽器や音楽に対しての考え方自体を、実は自分が自分に本番のたびに積み重ねて、20年に渡り強固にしながら楽器と関わっていたということです。
その人の性格や環境に影響されるものもあるけれど、その音楽や楽器への向き合い方や考え方が、音楽や演奏の素晴らしさを純粋に感じられる幸せから遠ざかる方向だったと分かりました。

もっと早くアレクサンダー・テクニークに出会っていたかった。
もっと早くアレクサンダー・テクニークのような考え方をしながら、楽器を吹いていたかった。
もっと早くアレクサンダー・テクニークを知っていれば、もっと早く上手くなっていた。
もっと早くアレクサンダー・テクニークを取り入れていたら、あんなに苦しまずに本番を乗り越えられたはず。

楽器を始めた中1から過去の私を振り返ると、アレクサンダー・テクニークを知った今の私は、確実にどの年代の私に対してでも言ってあげられることがあります。過去の自分が、もっと早くアレクサンダー・テクニークに出会っていたら、そうすれば、もっと違う音楽の世界を今頃見れていたはずだろうなと、ある意味勿体無いと思う自分もいます。

懸案のあがり症との付き合いは、まだまだ縁が切れない悪友でいるけれど、確実に今まで違う付き合い方があると、アレクサンダー・テクニークに出会った1年半で知りました。

以前感じていた音楽の原点に戻って、楽器を吹きたい。

あの時苦しんだり悩んだりした自分に役立つように、過去の自分に語り、そして未来の私が、自分を認めながらありのままの自分で、音楽の本来の姿に感動し、感動してもらえるような音楽を奏でられるように、今ここにいる私は、このブログを始めたいと思います。


クラリネット人生に、アレクサンダー・テクニークを。

 

 

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