楽器を吹く情熱、演奏会にかけるやる気、毎日楽器をさらうモチベーション、向上心。それらは大きい視点で見ると、自分の人生の目標やミッションや望んでいることと繋がってきます。そもそも演奏に関わっている人は、高いレベルでその情熱を維持できる能力が備わっていますが、自分から湧いてくるはずの向上心が薄れてしまったとき、楽器へのモチベーションがなくなってしまったと思ったとき、「それらの源泉や在りかが、どこにあるのか改めて向き合いなさい」という自分からのメッセージなのかもしれません。涙とともに経験したレッスンより。
クラリネット宮前和美
なんで自分は教えるのか?
ある日のレッスンで、アレクサンダー・テクニークの学校(BodyChance)の校長、ジェレミー・チャンス先生がこう言っていました。
父が亡くなったとき、先生になりたいという気持ちが一切消え失せた。なんで急にアレクサンダー・テクニークの先生として教えたくなくなったんだろう?と、自分に聞いてみた。教える目的や情熱がこれまでなんだったのか?と。出てきた答えは、「お父さんの愛情を得るため」だった。お父さんにいい子だなぁって言ってもらいたかった。でも死んでしまったから、それをやる必要がなくなってしまったんだと分かった。もう一回、教える理由を作らなくてはいけなかった。それを見つけて決め直すまで、とても時間がかかったんだ。今まで、これが私のしたいことだと改めて決め直す出来事が、父が亡くなったこと以外でも二回あった。そのたび選択肢の中から、決断をし、再定義をし直したんだ。
自分から湧いてくるはずの向上心が薄れてしまったとき、楽器へのモチベーションがなくなってしまったと思ったとき。なんで私は演奏したいと思っていたのかを、改めて考えてみるタイミングなのかもしれません。もしかしたら、その動機付けが今の自分にはそぐわなくて、再定義する必要があるかもしれない、とジェレミー先生は話してくれました。
ジェレミーにとっては、「アレクサンダー・テクニークの先生として教えること」でしたが、私たちにとっては、「楽器を演奏すること」のモチベーションとして、この話をそのまま置き換えることができると思います。
なんで自分は演奏しているのか?ということの、再定義。
人生の変化。
このレッスンでジェレミーと話しているときに、私にとって人生の変化が起こっているなんて一言も伝えなかったのに、なんだか全てお見通しのような答えが続きました。
きっとあなたも理由を決め直すところにいるんだね。自分の人生が何のためのものなのかと。でもあなたには何の問題もない。素晴らしい先生であることは変わりない。ただ今この瞬間は、大きな変化を通過している。あれしなきゃこれしなきゃと自分を押し付けないで、ゆるめる自由が必要かもね。大いなる変化が人生に起こっている場合、自分に何が起きていたのか自覚するのには、一年くらい後になってから分かってくるものだよ。
アレクサンダー・テクニークの先生としての視点と、色々な経験をしてきた人生の先輩としての視点を持ち合わせ、両手を広げて全部私の言うことを受け止めるつもりでいる優しい口調のジェレミーにそんな話をされ、涙腺が決壊しました。本心や本質にある深い部分を見抜かれ、白旗上げて降参してしまう、そんな凄腕のアレクサンダー・テクニークの先生たちに囲まれて、「楽器の演奏」や、「指導をすること」を学んでいます。
自分の演奏のモチベーションや向上心は、どこからきているのか?
その「動機」や「望み」を改めて考える機会が必要になるとき、それからの楽器演奏が今までと違ったものになるかもしれません。
クラリネット宮前和美
アレクサンダー・テクニークの先生とのレッスンシリーズ
3、◆BodyChanceでのアレクサンダー・テクニークの学びとは?
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