2013年11月から始まったアレクサンダー・テクニークの学び。あっという間すぎるように感じますが、アレクサンダー・テクニーク教師資格取得し、BodyChanceのGW合宿で卒業式を迎えました。クラリネット演奏のために始めたアレクサンダー・テクニークですが、この3年で変化したこと、私の人生に起こったことはさまざまです。合宿に来ていたトミー・トンプソンという先生は、人生の終わりのことを、『この惑星を去るとき』という表現をしていましたが、そのときの私がもしここにいたら、今の自分になんて声をかけるだろう。そう思うと、自分が自分の後押しをし始めて、使命や進む道がより明確になっていく。今後どう進んでいくのか思いを馳せます。
クラリネット宮前和美
アレクサンダー・テクニークの学校BodyChanceの合宿は、毎年ゴールデンウィークに、富士山のふもとの御殿場で行われています。
2014年に初めてこの合宿に参加したとき、アレクサンダー・テクニークの学校の先生方や、卒業する先輩方が、手の届かない凄い能力を持った人たちに見えていました。この学校の教師養成コースの過程をすべて終えると、この合宿で資格取得記念の卒業式があります。その恒例である卒業式を初めて見て、感動し、涙し、私は4年後くらいにあそこに立つことになるなぁと漠然と考えていました。
2017年、あの時と同じ場所、同じ時間、同じ環境で、今年は私が卒業生でした。
振り返ると、2013年10月、初めてバジルさんのアレクサンダー・テクニークのセミナーに参加したのが、この道を歩むきっかけです。このセミナーで学べたようなことを、バジルさんが教えていたように、今まで楽器を教わりたかったんだと思いました。BASICコースに半年通い、楽器の上達に役立つこの時間がますます楽しくなっていきました。半年後、2014年4月より教師養成音楽コースへ入学。
一番初めのプロコースの授業は、通訳がバジルさんで、校長先生のジェレミーでした。始めの頃は、とにかく舞台でのあがりや緊張について、とことん何度も何度も向き合うおよそ一年。緊張の仕組みを、脳科学の側面から神経系統の話も含めて細かく、何十分も掛けて説明してもらったこともありました。カザルスの弟子で、アレクサンダー・テクニーク教師であるチェリストのヴィヴィアン・マッキーに相談した時は、そんなものは小さい悪魔のようなものだからパッパッと手で払い落とすのよ、と言われたこともあります(笑)。女優であるキャシー・マデン先生には、パフォーマンスとは何かという、今まで考えたこともなかった視点をたくさん授けてもらいました。アレクサンダー・テクニークを始める前に感じていた、寿命が縮まるような怖さがある舞台での演奏が、音楽のパフォーマンスとして変化していきました。今でも指は震え、緊張を感じることはありますが、向き合い方は全然違います。
そして、細かい部分、大きな部分、様々な角度、思いもつかないアプローチから、楽器の技術の向上がありました。ホルン奏者のバジルさん、フルート専門の嶋村順子さん、ボーカルの鈴木重子さんからは、アレクサンダー・テクニークを、音楽の側面からも深く教わりました。骨格構造、解剖学的に、自分の構造に合った身体の使い方をたくさん学び、演奏に生かしてきました。吹いていて苦しく、遠鳴りしない響かないという悩みだらけの音が、いつの間にか、すごく楽に吹いているように見えるのに通って聴こえると言われ、苦しかったブレスも苦労なく、吸い込む音も無くなり、バテやすいアンブシュアも、実感できるほど全く問題がなくなりました。
そして物事の考え方。望みを明確にし、建設的に、プランを立てる。見方を変化させ、選択肢を増やす。音大を目指す前から当たり前であった、競争や評価の文化との折り合いの付け方。とにかく時間でカバーしようとしていた技術の維持や進歩を、練習という定義自体が変化したことで、全く違うものになりました。楽器に関わる時間の質がアップし、吹いても吹いても足りないと感じていた時間は、効率が良くなり結果的に短縮されています。才能がないと思い込んでいる劣等感や、自分の中にある厳しい目の非建設的さを知り、何度も先生たちにそれを指摘されながら成長を認める大切さを学び、自分が自分を上達させていく楽しさを知りました。
そして超一流の先生たちが目の前で繰り広げる、さまざまなレッスンにワクワクしました。今まで見たことがない楽器に役立つ教え方。生徒との向き合い方も、アドバイスする内容もより具体的で、個人個人特別仕様で、安全で自由な学びの場を、先生が最大限作り出している。始めの頃は、そのサポートを全身で浴びるように受けました。こんな風に私も教えることができるようになりたい。少しづつ真似をしながら、私自身もバリエーションに富んで変化に繋げられるレッスンができるようになりました。もっともっと進化していきたいですが、生徒の笑顔と共にあるレッスンが幸せです。
そして勇気を出してブログを始めて、アレクサンダー・テクニークを通じて学んだことを、少ない頻度ながら一つ一つFacebookのページに記事をアップするごとに、皆さんに関心を頂き、なにかのお役に立ち、たくさんのいいねを頂いたり、読んでます、文章が好きです、と声を掛けて頂く経験も初めてのことでした。
私は、校長のジェレミーには「質問サン」、海外講師のトミーからは「Two Questions」とアダ名がつくくらい、BodyChanceの授業内で、先生達に聞きたいこと、そしてやりたいことがありました。原動力は、今まで溜まりに溜まった上達したいのに上達できないという押さえ込まれた欲求につきます。それを必ず満たしてくれる。レッスンで、教えて欲しいと思ったこと、知らないことを、楽器に役立つことを、その場で湯水のように先生から引き出せて、毎回レベルアップしている実感がある。授業が本当に楽しくてしょうがありませんでした。
そんな順調な学びの中、2015年6月、思いもよらぬことが起こりました。今まで大きな病気一つしてこなかった父が、癌の告知を受けました。寝耳に水。青天の霹靂。にわかに信じられない。何度も思い出しては、心臓が掴まれるような不安が押し寄せる。どんな形容をしていいのか、何ができるのか、大切な人の死に向き合わなくてはいけなくなった現実。ステージ4の食道癌で見つかり、転移もあり、すぐ入院と放射線治療。どんどん様子が変わっていきました。いきなり人生においての別れやタイムリミットを突きつけられ、カウントダウンをヒリヒリと感じて過ごし、でも一方、好き勝手に音楽をやって、BodyChanceに通い、レッスンをし、夜遅くに帰ってくる毎日。体調はよくないはずなのに、帰ってくるまで起きて待ってくれている。一つ一つの行事が最後だと心の中で思い、日常のなんでもないことが突然尊く思え、その度泣きそうになりました。でも毅然と治療を続ける父を見て、その度私が泣いてどうすると思い直しました。私が教師資格を取れるのは、来年。それまで間に合うんだろうか。この世にいてくれるんだろうか。直後の父の日、家族の誕生日、群馬への帰省、お正月、父の誕生日、桜……。これも、あれも、口には全く出さないけれど、もう最後になるかもしれない、と思って一緒に過ごし、告知されてから約一年。2016年4月、私は2段階になり、できるだけ早く資格取得をして、父に報告したいと思っていました。できることなら父にアレクサンダー・テクニークの実習生になってもらおうと心の中で思ってました。いつまで、どの行事まで、一緒に過ごせるんだろう。6月初旬、3人目のアセスメントに受かり、仮免許取得ができたと報告できました。いざ実習生レッスン。最終的に一人目の実習生は母にお願いし、父にはレッスンをしているところを見てもらうことになりました。私が母に歌のアレクサンダー・テクニークレッスンをし、ソファから父が見ていたあの光景。もらったアドバイスは忘れられません。そして8月、夏が来ました。毎日病院に通い、病室で話して、家族全員集まって、明日は緩和ケア病棟にお引越しだね、また明日ねー、お休みーと言って別れた次の日の朝。「亡くなった」だなんて電話を病院からもらっても信じられない。昨日まで話して、そこにいたのに。もう一生父と話せない?今から病院に行ってももういないの?私が生まれる前からずっといた父がいない。
楽器もアレクサンダー・テクニークの学びも、全くエネルギーが湧かなくなりました。これまで経験がないほどやる気が持てなくて、モチベーションが湧かない。でも手帳にあるスケジュールは、いつも通りやってくる。レッスンも、人付き合いも、本番もいつもと変わらぬテンションでこなしていける。でも家に帰ると、取り敢えず一旦体を横にしてからでないと動きたくない。やけに眠くなる。楽器は取り敢えず触るけれど、今までのようにさらえない。父の存在がなくなってしまったことが同じである母と姉妹がいることと、周りの人に父が亡くなったと言わないことで、今まで通り変わらぬ日常を過ごせることが、支えだったと思います。
8月後半、二学期が始まり、スケジュール通りBodyChanceの授業には出席していました。あんなに聞きたいことがあったのに、全く出てこなくて、ジェレミーの授業を見ているだけでいたら、「質問サンから質問がない。」と急に言われました。「変わったの?」「どうしたの?」と信じられないくらい勘のいい校長先生。モチベーションがないの、と思い切って言ってみたら、意外にも「いいことだ」と言われました。今後ずっと楽器も吹きたくなかったらどうしよう。「いいんじゃないの?しばらくそうしてみたら。違うステージに行く途中なんだ。そうしないと見えてこないことがある。」確信めいてそう言われました。
この数年の間において、初めて、楽器を吹かない連続した日が続きました。でも楽器を吹かないなんて怖すぎる。体力的に大丈夫だから、心はついていかなくても楽器を手に取ろうとする自分。楽器を吹きたいのに吹きたくない、こういうときはどうしたらいいのか、どうやったら元に戻れるのか途方にくれて、色々な先生に相談しました。頂いた言葉は心を優しく包んでくれました。特に、サラ・バーカー先生。来日している最中、雪崩に巻き込まれ弟さんが急死されました。それでも、直後のプロコースの授業があり、アレクサンダー・テクニーク教師として、姉としてどう考えて向き合うのか、寂しい辛い悲しい気持ちや想いの受け止め方を、今まさにそうしていることを教えてもらいました。
今こうやって卒業式を迎え、卒業式の写真があり、卒業証書が手元にあります。父に見せたら喜んでくれただろうと思います。フリーランスで音楽活動をしている不安定な将来性をきっと心配していたはずなので、特に卒業の条件であるワークショップを、北海道で、あんなに大成功で開催できたこと。実際には見てもらえませんでしたが、きっとどこからか見守ってくれていたと思います。
さて、これからは今まで学んだ多くのことと、先生方がしてくれたことのバトンを受け取って、クラリネット奏者とし、そして皆さんと同じように、色々な人生の歴史がある、今を生きている私でレッスンしていくことになります。私を通したアレクサンダー・テクニーク。これからどんどん変容していくと思いますが、より音楽や楽器の世界に生かせるツールにしていきたいと思ってます。
私が変化しているように、誰かが、前を向いて、いつまで経っても可能性がある自分を感じながら、大切でやりたいことをしながら歩いていく、人生の旅路のお手伝いをしたいと思います。
これまで、教え、学び、支え、関わってくださった皆様に本当に感謝しています。ありがとうございました!そして、まだまだ引き続き学んでいきます。これからもどうぞよろしくお願いします。
2017年5月
宮前和美
私が学んでいるアレクサンダー・テクニークの学校BodyChance
アレクサンダー・テクニーク教師養成コース(プロコース)
http://www.alexandertechnique.co.jp/
(音楽プロコース)
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