◆多くの音楽家が教わってこない、パフォーマンスのこと /0004

多くの音楽家が教えてもらってこない、パフォーマンスのスキルとは?役者が舞台に立つときのスキルを、音楽家向けに音を使って、女優であるアレクサンダー・テクニークの先生に教えてもらいました。レッスンで、実際吹いたのは、二つの音のみ。でもその二音で、演奏に大きな影響が出るであろう、今までにない体験をしました。

クラリネット宮前和美

 


 

女優であるアレクサンダー・テクニークの先生(キャシー・マデン)のレッスンが、7月に入って何度かありましたが、その最終日の話です。

キャシーはアレクサンダー・テクニークの先生で、舞台人でもあるので、時には、人前に立つことや、観客との関係性について、レッスンで取り上げることがあります。
音楽家向けのクラスで、役者は、どうやって自分が舞台に立ち、パフォーマンスするのかということを、膨大なアイディアや時間を掛けて、学び、エクササイズし、スキルとしているものだけれど、多くの音楽家はそれを教わらずに、いざ本番の時に「Good Luck!」と放り出されて舞台に立つようだと、言っていました 。

最終日、そのスキルの何か一つを、クラリネットを使って体験したいと、キャシーにお願いし、結果、今までにない素晴らしいレッスンの経験をさせてもらいました。

 


多くの音楽家が教わらないことって?

私にとって俳優は門外漢なので、日本でも海外でも、俳優がみなそうやって、パフォーマンススキルに関して、何か特化して学んでいるのかは分かりません。

でも確かに、音楽のレッスンで、本番へ向けての心の持ちよう、舞台に立った時の演奏家の在り方、具体的なパフォーマンスのスタンス、そういったことを指導される機会はなく、個人に委ねられます。

どうやってその楽器を演奏するのか、その楽譜の音楽の意味することが何なのか、どうしたらより良い演奏ができるのか、そういった演奏面に、長い時間を掛け、レッスンを受け、一生懸命練習してきます。

元来、人とのコミュニケーションとなりうるもの(人前に立ったり、話したり、目立ったりすることなど)が好きで、適性があって、人との関係を繋ぐことや空気感や反応に敏感(お笑い芸人などその最たるものだと思いますが。)で、小さい頃から慣れていれば、そんなことを特別考えなくても、自然に分かって身につけてきたものを使って、舞台に立つことをやってのけている人もいるのだと思います。

今回教えてもらったのは、そういった人の性格上の度胸やコミュニケーション術ではなく、俳優ならでは、音楽家ならではの、舞台に立つときのスキルがあるということと、その導入です。

大きなプログラムで長い道のりが必要だという、このパフォーマンススキルをつけるために、どういうことを俳優さんたちが、エクササイズし、どんなことが有効なのか、まだ漠然としていて、予想がつけられない状態ですが、「演奏のテクニックと、演奏家としての自信」だけが、舞台に立つスキルと繋がっているわけではないのだと、キャシーの言う、多くの音楽家の中の一人である私からは感じられる、全く別の新たなアプローチでした。

それに「舞台でどうやってそこにいるのか」という具体的な考えがなかったり、プランが立ってなかったりすると、舞台は怖いと感じるようになるから、という言葉は、あがり症で悩む私にとって、確信に近く思い当たりました。

 


舞台の上で、演奏したい、聴きたいと願うのは。

人前で緊張したときに、お客さんをカボチャに思うとか、ここが練習室だと思うとか、現実を架空の設定に変えてしまうような、緊張の対処法を聞いたことがあると思いますが、あがり症にとって応急処置となり得ても、根本的な解決とはならない理由が、このレッスンを受けてはっきりしました。

今存在する状況や変化を受け入れないことは、現実との葛藤を生まれさせ、自分を固めてしまうことでもあるし、レッスンで体験したような、本来の舞台で起きて欲しいはずのものが、起きなくなってしまう。

私が、演奏したい、聴きたいと願うのは、心が揺さぶられ、琴線に触れる何かがあり、瞬間瞬間で消えてしまうのに、何年も忘れられないような音の感動で、その舞台しか現れない音楽が創り出す時間の芸術です。

演奏者と聴衆が、今ここにリアルにいることで、化学反応が起きているような変化や、存在のやりとりを、自分の意思で実現してみたい。

改めて思うと、こういった考え方に近いことを、これまでどこかで漠然と聞いてきたように思いますが、そうしていないから緊張が生まれるのかもしれない、と実感を伴い考えられたのは初めてです。

 


その時のレッスンでは何をやったの?

「聴衆に、自分と共にいることを誘いながら、自分も共にいること、そのループの中にいることを、舞台に立つ基本的なスキルとして、俳優はまずエクササイズするのよ」

私の存在で聴衆が変化していき、それと同じように、今度は、私がその聴衆の変化に影響されて、自分が変わり、またその変化した自分に、聴衆は影響される、と。

 

私は、楽器を持ち、譜面台を自分の前から退かして、グループの前に立ちました。

自分の中の変化や感情を観察し、周りの人の変化に目を向け、共に居続け、色々脳裏に浮かぶ思い、しょうもない考えも含みながら、それを自分自身で受け入れ、他の人の反応や変化を感じ、自分がそれに影響を受けたいなら、その反応を受けて、変化を繰り返しながらここにいる。

しばらくしてから、今自分の中で起こっていることと、共に一緒にいてもらうというお願いを、音でお誘いして、一音吹く。

そして、周りの反応を受け取って、しばらくして、もう一音吹いてみる。

演奏しようと思っていたsoloの冒頭の音を、静かに伸ばして吹いた二回目、ずっと側でついていてくれたキャシーが、小さな声で「これが最初のステップよ」と囁きました。

 


レッスンの余韻

ほんの数分の間のことだった思いますが、私にとって、その一瞬一瞬の変化を感じていることで、時間が遅く、意識は繊細に、感覚は敏感に、その変化を見守って、ついて来てくれる人達と、共に影響し合う関係性の中で吹いた、Asの音の響きと、その凝縮された体験は、数日経った今、まだ体に残っています。

途中、演奏やレッスンに役立たないであろう思考や、感覚を追い始めた時、私はそれに気付き打ち消して、多少建設的に考えようとしていたのですが、キャシーはすかさず、「今考えていることも、自分の中で起こっていることも、誰にも分からないし、誰にも絶対言わなくていいの。絶対に分からないし、永遠に言わなくていい。」というメッセージがありました。

そうか、自分の反応を、自分が受け取っていないんだ、これって…

ずっとそばにいて、誘導して、見守って、見抜いていた、キャシーのその教え方。

私のレッスンが終わった後も、まるで曲の最後の音が、ホールに消え入る瞬間を追って、いつまでも拍手が起こらないような、静かで充満した時間が、グループ全体にしばらく続いていて、このレッスンにおける余韻の残り方が、普通ではなかったです。

 


アレクサンダー・テクニークの先生とのレッスン

私が通うBodyChanceでは、キャシーは教育部門トップの先生ですが、あまりにもレッスンで魔法を使っているかのように、見透かしたり、見抜いたり、変化をいとも簡単に起こしたりするので、冗談本気で魔女だと表現する人もいるくらいです。

このレッスンを受けてから、楽器以外にも、誰かと一緒にいるときには、いつもそうだということに気づき、人と話したりレッスンするのも新たな関係性に感じ、それなら、難しく考えなくても、いつもやっていたことを、楽器の演奏のときも使えばいいんだ!などと、その後色々考えています。

アレクサンダー・テクニークで、体の使い方や考え方にアプローチし、楽器演奏が劇的に変わることも、幅広く色々な視点から学べることも、楽しさや醍醐味だと感じていますが、こういう先生だからこそ伝えてくれた、今まで教わってこなかった、特別なパフォーマンスのレッスンでした。

 

クラリネット宮前和美

 

 


『キャシー・マデン著書』

『キャシー・マデン著書 「オンステージ・シナジー~演技者のためのアレクサンダー・テクニーク実践」』(邦訳未出版)


 

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