よくも「はずさないように」って自分を固めながら、失敗しないで吹いていたもんだ。むしろ本当の成功を犠牲にして、「はずさないように」という程度での成功を実現していました。でも、私はアレクサンダー・テクニークで、やりたいことを実現させるために、練習で必要なプロセスを踏む訓練をしてきたじゃないか!、と自分に言ってみます。さあ、否定形ではない、肯定形の言葉に言いかえよう。
クラリネット奏者、アレクサンダー・テクニーク教師、宮前和美
出にくくないですか?
バスクラリネットの、レジスターキーのソの音。
出にくくないですか?
これを読んでくれている人の中の、管楽器プレーヤーの中の、クラリネット吹きの中の、バスクラ吹きの中の、もしかしたら、LowCの、その中でもクランポンPrestigeユーザーに限りの?、ごくごく数人の、私と共通点がある、あなただけにしか分からないと思われる問いかけです(笑)
それを迷いもせず押し出してますが、共通項って浅く広くより、深く狭くの方が、人と人って意気投合して、関係性が深まるらしいですね。絶対数が少ない楽器って、そうなりやすいと思うのですが、その中でもバスクラ吹いている人って、バスクラへの愛、かなり深くてコミュニティーが強いと思います。外国で見知らぬ日本人に会って親近感を覚えてしまうのも同じ心理らしいですが、そんな分かる人にしか分からない深くて狭いバスクラ共通点で、口火を切ってみます。
イヤなんです。
私にとって、バスクラのレジスターキーのソの音。
単音で発音するのが、そもそもイヤだ。
前後の音に比べてつまりやすい。
当たりにくい。
音を当てるポイントが不明。
そして、跳躍してこの音に行くのも、イヤだ。
繋がりにくい。
ひっくり返りやすい。
そんな特徴がある音。
ヤバい、やっちまった。
先日、久しぶりにバスクラを吹いて、指導している学校で譜読みをしていました。
しばらく吹いていて、誰もが知っている有名なメロディーの中に、この音への跳躍がありました。
下のドから、ド〜ソ〜と朗々と歌ったつもりなのに、ド〜ビキャっーと、かなり派手にリードミス!
うわ、ヤバい。
やっちまった。
レジスターキーのソか!
久しぶりで、感覚が変だ、つかめてない。
ツボがどの辺りだったかすっかり忘れてる。
そうだ、バスクラってそうだった。
教室で一人で練習していたのに、もしかしたらこの超ダサい失敗が、生徒に聞かれたかもしれない、という被害妄想も含まれ(笑)、急に焦ってきました。
何度かそのメロディーを抜き出して練習。
感触を確かめる。
だめだ。
譜面をそのまま吹くのを止め、単音で発音練習。
息の方向、アンブシュア、鳴っているポイント、どこだ?
何度かやって、何となく掴めてくる。
そして懸念のレガートでやってみる。
バリエーション作って跳躍練習。
やっぱりソに近づいて行くと、躊躇が増える。
息と指のタイミングか、アンブシュアか、息の方向か、何に原因が?
なんで?
どうしてだろう?
なんでこんなに吹きにくいんだろう?
そこで気づいた。
私、「はずさないように」練習してる!!
うわーーー。
アレクサンダー・テクニークを学んできて、初期の頃から知ってるはずなのに!
「否定形は、役立たない。」
「否定形は、自分の動きを鈍くさせる。」
ってこと。
動きのパフォーマンスは、「〜しないように」「〜しちゃダメ」「〜すべき」「〜でなきゃ」という否定形の思考があると、確実に動きにくい不利な方へと進んで行く。なのに気づかぬうちに、気づいたときにはすっかり「はずさないように」という完全なる否定形で練習していました。
リスクが高い!
でも、何と言ってもバスクラの中高音のリードミス。
B♭管に比べて、比にならないくらい衝撃的なヤバいミストーンになります。 譜読みで予期できずに、派手にはずしたことで、ソの音に対して一気に怖さが生まれていました。だから「はずさない」ソが出せるように、「はずさないように」練習していたのでした。否定形の音が目標で、さらに練習の目的も否定形。
よくよく考えてみると「はずさないように」の思考の非建設的さ、ったらないし、そうやって出した音が良い音な訳がない。あーあ、何やってんだ、私。ブワーーーーっと呆れ感が湧いてきました。
でも、それと共に、自分の中にあるその思いに気づいてしまうと、それはそれは慣れ親しんだ思考でした。
いつもどこかで「はずさないように」とか「ミスを防ぐ」ことを、ずっと条件にして吹いていたのを、身体が思い出させてくれました。今のような練習の間だけでなくて、本番は特にそうしていたこと。本来オーケストラの中のバスクラは、対角線上の左端に通常いるコントラバスやチェロ、トロンボーンやチューバと音楽的役割がほとんど一緒なのに、全く役割の違う木管高音と一緒に座らされているので、音を出すのがそもそも孤独です。コントロールが大きく必要な分、万が一リードミスでもしたら目立ちしやすいし、この音域の時は、いつでもそう思って、身体を固めて「ミスを防ぎながら」吹いていたのでした。
じゃあ、どうしよう??
よくも「はずさないように」って自分を固めながら、失敗しないで吹いていたもんだ。ギリギリの綱渡りだったことが、今になってわかります。むしろ本当の成功を犠牲にして、「はずさないように」という程度での成功を実現していました。
でも、私はアレクサンダー・テクニークで、やりたいことを実現させるために、練習で必要なプロセスを踏む訓練をしてきたじゃないか!、と自分に言ってみます。さあ、否定形ではない、肯定形の言葉に言いかえよう。
まずどんな奏法で吹いたらいいのか分かってないと、何を肯定形にしたらいいか決まらないから、それを見つける実験をたくさんしてみるしかない。
【実験その1】
★「ソルフェージュのタイミングと指のタイミング、そもそも合ってる?」(これ、かなり重要!)
歌って想像している音に切り替わる瞬間、指を同時に動かし、肘の回外も使って、指の動かす方向や支点を決める。
↓
うん、タイミングは追いついている。
【実験その2】
★「息のスピード早く?それとも遅くする?」(音域によって違うので、基本をおさえます。)
抵抗感の違いがかなりある音と音の跳躍。この音域ならスピードは増した方がいい。
↓
うーん、でも、鳴りは良くなっても、不確かな感触が抜けない。
どうなるか、やってみるまで分からないという前提で吹いているつもりでも、否定形である「はずさないように」という思考が、シレッといつの間にか存在してきやがって(笑)、発見しただけでなく、少しづつ増殖してくるのに気づきました。でも、実験中だからはずしたっていい、と強く思ってみます。『成功も失敗も、情報の一つ』『失敗するから成功が見えてくる』。いつかどこかで聞いたことがあるこんな言葉も、知っているのと納得しているのとは一味も二味も違うチャレンジになります。失敗を心の底から完全に許す。やってみるまで分からない。当たらなくったって、リードミスしたって、失敗したっていいんだよ、自分!
どこまでも続くよ、実験は。
そう言い聞かせながら、引き続き実験!
【実験その3】
★「口の中の圧力を変えるため、軟口蓋をどう使ってみるのがいいかな?」(ちょっと専門的。)
息のスピードを早める必要があるということは、口の中の容積を狭くする。ってことは舌の位置を上げ、軟口蓋を緩めてみよう。
↓
間違ってない方向だけど、そうしてみても、ソがコントロール下にまだない。
【実験その4】
★「アンブシュアの調整どうしてるかな?下唇動かす?」(木管だって必要です。)
アンブシュア全体を絞ってまとめるように動かし、張りがあるようにして、下の音と倍音列が異なるから、ほんの少し下唇をリードの下の方に移動させてみよう。
↓
おっ!
当たりやすい!
これいい!
そうだ、ほとんど下唇を動かさずに吹いていた。
海外のプレーヤーなど、見た目が全く動いていなそうなしっかりしたアンブシュアでも、表に現れない見えないところで微調整は絶対にしている。ソルフェージュと一緒にする必要がある。調整することが意図に入っていないから、必要分を動かさずに吹いていた。いまだにアンブシュアも「動かさないほうがいい。」という古い否定形思考に多分しばられているんだ。なるほど。
できた!
ようやく否定形に変わる肯定形ができた!
「ソへ跳躍するときに、口の中と下唇のハリを、1ミリくらいの間で積極的に動かして、口の中も狭くして息のスピードを増して、演奏してみよう。」
0.1ミリ単位で、0.1秒単位。アレクサンダー・テクニークを使いながら。
瞬時にちょっと。けど、プランを実行するのは、決然と、大胆に。
大胆にする必要があるのは、否定形の強さに負けてしまいそうになっているから。
ソにいく直前まで「こうするぞ」と意図を強く思っていても、ほんの瞬間、今ここでソの音を吹くってときに、瞬時に「はずしたくない」という思考の躊躇が出てくると、肯定形があっという間におろそかになる。
その勝負をするという練習。
面白かった。
本当に一瞬で、どちらに分配があがるか、分かってくる。
一瞬後にやってくる結果を待たなくても、「はずしたくない」とか「はずさないように」の否定形が、思考回路に瞬間挟まれるだけで、レジスターキーのソの中途半端な結果がほぼ予測できて、結果が見えてくる。
すごい!
本気で否定形を手放せた瞬間。
★微調整を確実にしようとする、繊細な必要な動きのことだけが頭の中が占めていて、不安の想定をする隙間がなくなる。不安感情が薄まる、本当に不思議な現象。
★結果が分からなくて、もしかしたらリードミスしてしまうかもしれないのに、そうかもしれない可能性をこれっぽっちも想定せず、「音をはずす」という賭けの「負け」を気にしていない自分がいる。はずれた音に対して、そんな心持ちで吹くことが、新鮮すぎる。
★ソへの跳躍が思うようにできなくても、きっと「あーあ、やっちゃった。」位ですませて自分へのダメージは少なくてすむ予感。必要以上のダメ出し癖も消せる!
そうして否定形をどこかに行かせて、一瞬も存在させなかった瞬間、狙い通りにレジスターキーのソへ跳躍し、そのメロディーを吹くことができていました。
へーーー!!
なんという、思考回路の繊細な複雑さ。
身体の動きと、自分の頭の中の思考は、本当に密接に影響を与えあっているのが分かりました。
アレクサンダー・テクニークを学ぶと、思考回路の自分の癖を知ったり、意識に上がってきにくい、根深い考えを掘り起こすのが上手くなったり、向き合い方を知ったりするけれど、今回のように自分一人で、考えの方向転換と過程を認識しながらできたのは、本当に面白く画期的でした。
もしかしたら以前は、否定形の思考が当たり前すぎて、気にも留めなかったかもしれない。
もしかしたら久しぶりのバスクラだから気づいたのかもしれない。
けれど、今回の否定形は見逃さなかった。
成長した!(と認めるのが大切。なので絶賛実行中。参考ブログはこちら。)
バスクラ事情と共に、思考の話。非常にコアなバスクラリネットのレジスターキーのソの音に、どう向き合ったかという自己開示話でした。他の楽器でもそれぞれ特有の難しい事情で、同じような考えを持ってしまうことがきっとあると思います。そんなときの向き合い方の参考になればと思います!
クラリネット奏者、アレクサンダー・テクニーク教師、宮前和美
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