Facebookページ【多くの音楽家が知らないでいる、演奏に役立つこと。】
に2018年3月18日に投稿した記事です。
生死に関わる危機が訪れていると、動物はこの3つのどれかをやろうとします。
この3つの中で、身体はどこを目指してるか考えてみた今日。
生死に関わる危機が訪れていると、動物はこの3つのどれかをやろうとします。
・戦う
・逃げる
・死んだふり
実は、人間もいまだにこの3つの反応から逃げる事はできません。
言葉にしてしまうととっても大げさではありますが、動物的本能の傾向として、
ちゃんと身体に表れるんだなということを実感している今日なので、ちょっと文章にしてみます。
生死に関わるわけではありませんが、例えてみます。
「人から傷つくことをキツく言われてしまった!」とき。
自分にとっては大きなる危機です。
→ムッカー。言い返す。(戦う)
→その人を避ける。(逃げる)
→グサっ、引きこもる。(死んだふり)
「オーケストラの舞台で長いソロを演奏する」瞬間。
集団の中で目立つのは非日常なので、本能的には危ないエリアに入ります。
→朗々と美しく最大限の音楽をしようとする。(戦う)
→失敗するかもしれないとネガティブな気持ちになっている。(逃げる)
→身体が固くて息が吸えなくて頭が真っ白になる。(死んだふり)
などなど反応が起こります。
さまざまな出来事の中で、色々な心境になり、身体に現れる現象を当てはめられると思います。
自分にとって、緊張感があること、ショックなこと、ヤバイこと、ひっかかることがあって、何だか心がざわざわしているとき、
自分はこの3つの中のどれかを、本能的に選択しようとしている。
何かをストレスだと思い、自分にとって良くないこと、危険だと判断して、警笛を心の奥で鳴らしている何かがあるとき。
もしその正体を突き止められて、解決方法が見つかったら一番いいんだろうけれど、単純な状況ではなくて、よく分からなかったり、もうどうしようも手立てがないとき。
【大きく分けてこの3つの、どこへ身体は目指してるんだろう。】
そんな風に考えると、心のざわざわに寄り添える気がしたので、この文章を書いています。
私の父は、2016年8月に癌で亡くなりました。
そのとき自分の身体に起こっていたことを、なんだか今日すごく思い出したのがきっかけです。
父が亡くなった直後、告別式まで数日あり、日中は手帳に書いてあるスケジュールは変わりなく訪れるので、いつもの通り滞りなくこなしていました。
人と接して、しゃべって、時には笑って、ご飯を食べて、レッスンで色々な場所に移動して、楽器を吹く。
でも家に帰ってきたときには、何だか分からないけれど、すぐに一旦身体を横にして、しばらくジッとして、10分くらいしてからでないと、動く気力が全く出てこないという日々が続いていました。
告別式が終わっても数週間。
父が亡くなったという事実。
頭では理解していたけれど、身体はついていかなかった。
日中一生懸命いつも通り身体は動いてくれていたけれど、家に帰るとスイッチが切れるみたいに、放心していました。
何なんだろう?
その時はよくわかりませんでしたが、今思うと、悲しいという感情がずっと通奏低音のように鳴り続けていただけでなく、父という大きい存在が無くなって、自分自身の存在意義に関わる、大いなる危機が訪れていたんだと思います。
そんな危機に対して、何も感じないように、動かないでいる、「死んだふり」。
身体がそれを求めているなら、十分そうしてあげよう。
戦うようなエネルギーに変えられるなら、思い切ってそうしてあげる。
逃げたがっているなら、逃げる道も見せながら、安心と安全の場所を作って、優しくケアをしてあげる。
動きを止めたいと思っているなら、十分ダメ人間になっていいから、ダラダラ、グダグダしてもいいから、動かないでいる状態を作ってあげる。
・戦う
・逃げる
・死んだふり
どれを自分はしたがっているんだろう?
時には頭で考えないで、そうやって身体に寄り添って過ごしてみたらいいんじゃないかと、そんな考えがわいてきた1日でした。
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に2018年3月18日に投稿した記事です。
クラリネット奏者、アレクサンダー・テクニーク教師
宮前和美
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